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長野地方裁判所 昭和39年(行ウ)7号 判決

原告 唐沢庄次

右訴訟代理人弁護士 林百郎

富森啓児

菊地一二

西沢仁志

被告 飯田市長 松井卓治

同 飯田市

右代表者市長 松井卓治

右両名訴訟代理人弁護士 上松貞夫

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

一、原告訴訟代理人は、「1、被告飯田市長松井卓治が昭和三九年三月三一日付でなした原告に対する退職処分はこれを取消す。2、被告飯田市は原告に対し、昭和三九年四月以降毎月二一日限り一月金一六、六八〇円の割合による金員を支払え。3、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに右第2項につき仮執行の宣言を求めた。

二、被告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、原告は昭和三六年一〇月一日被告飯田市に雇傭され、以来土木課失業対策係として失業対策事業工事の設計、現場監督、生産設計などの仕事に従事してきたものである。被告飯田市長はその間原告に対し昭和三七年四月一日付をもって「技手見習を命ずる。日給三四〇円を給する。土木課勤務を命ずる。雇傭期間は昭和三九年三月三一日までとする。」旨の辞令を交付し、ついで同年一〇月一日付をもって「技手を命ずる。五等級に決定し四号俸を給する。」旨の辞令を交付した。ところが、被告飯田市長は原告に対し、昭和三九年三月三一日付をもって「期間満了によりその職を解く。」旨の辞令を交付し、これをもって原告を退職処分に付した。

二、しかしながら、被告飯田市長のなした右退職処分にはつぎのような違法がある。すなわち、

(一)  原告は前記のとおり昭和三六年一〇月一日、地方公務員法第一七条第一項にもとずき、期限の定めなく正式に採用されたものである。

(二)  仮にそうでないとしても、原告は前記昭和三七年四月一日付辞令からすれば遅くとも同日右と同じく正式に採用されたものといえる。もっとも、右辞令には、雇傭期限を昭和三九年三月三一日までとする旨の記載がなされているが、

1、これをもし条件付採用ないし臨時的任用とみるならば、地方公務員法第二二条第一、二項がいずれもその期間を最長一年とする旨規定する趣旨に照らし、右一年をこえる期間の定めは無効というべく、原告が右一年をこえてひきつづきその職務に従事したことは明らかであるから、いずれにしても遅くとも右一年を経過した翌日に、あらためて特別の手続を要することなく、期限の定めなく正式に採用されたものというべきである。

2、またこれを雇傭期間を二年間とする期限付採用とみるならば、原告としては雇傭期間を二年とする趣旨の合意をしたことがないのみならず、地方公務員法は地方公務員の任用、勤務条件、分限、懲戒などについて詳細かつ厳格な規定を設け、安んじてその職務に精励できるようにその地位を保障し、もって地方自治団体の行政の民主的かつ能率的運営をはかっているのであるから、同法はその趣旨にそって厳格に解釈すべきところ、前記諸規定からしても、期限付正式職員の採用なるものは同法の予定するところではなく許されないものである。仮に期限付採用が許されるとしても、かかる特例を設けるにあたっては、同法第二七条、第二八条の趣旨から考えて少くとも条例によってその旨を定めた場合にのみ許されるものと解すべく、仮に当事者間にかかる合意がなされたとしても、これのみをもってこれが許容されるものと速断することはできない。なお、被告らはそれが許容される根拠として、労働基準法第一四条を援用するが、同条は雇傭契約の締結にあたり、長期にわたる人身拘束を制限する趣旨の規定であって、期限付採用の根拠となるものでない。よって、原告は同日期限の定めなく正式に採用されたものというべきである。

(三)  仮に以上の主張が認められないとしても、原告は前記のとおり昭和三七年一〇月一日付の辞令を交付されたことにより、遅くとも同日以降は期限の定めなく正式に採用されたものである。

そうだとすると、原告は本件退職処分を受けた昭和三九年三月三一日当時、いずれにせよすでに期限の定めなく正式に採用されていたことになるから、地方公務員法第二七条第二項により同法第二八条第一項、第二九条第一項各号に規定する場合のほか、その意に反して免職させられることはない。したがって前記退職処分はその法律上の根拠を欠き違法である。

三、ところで、原告は本件退職処分当時、飯田市職員として被告飯田市から毎月二一日限り一月金一六、六八〇円の俸給を受けていた。

四、なお、原告は飯田市公平委員会に対し、昭和三九年五月二一日付で、右処分を不服として審査請求をしたが、同委員会は右請求をした日から三箇月を経過してもこれに対し裁決をしなかった。

五、そこで、原告は被告飯田市長に対して本件退職処分の取消を、被告飯田市に対し昭和三九年四月から毎月二一日限り一月金一六、六八〇円の俸給の支払を求める。

第三、被告らの答弁

一、原告の請求原因第一項の事実は、原告が従事した職種の点を除きすべて認める。

二、同第二項の事実は争う。

被告飯田市長は原告を昭和三六年一〇月一日付で同三七年三月三一日まで地方公務員法第二二条第五項にもとづく臨時的任用を行い、同年四月一日付をもって雇傭期限を昭和三九年三月三一日までとする同法第一七条第一項にもとづく期限付任用を行った結果、原告は昭和三七年四月一日から同年九月三〇日までは技手見習として同法第二二条第一項の条件付採用、同年一〇月一日から昭和三九年三月三一日までは技手として期限付のまま正式採用となったものであって、同三九年三月三一日右期限の到来により当然退職の効果が生じたものであり、そこには何らの行政処分も存在しないものである。

すなわち、飯田市は昭和三六年六月に、二百数十年ぶりといわれる梅雨前線豪雨により大災害を受け、これが復旧工事を行う必要にせまられた。ところが、これに対する国の財政援助は昭和三六年度から昭和三八年度までの三年間に限られていたので、右事業を昭和三九年三月三一日までに終了させなければならない状況にあった。しかしながら、当時飯田市においては、土木・農林両課の配置職員数では到底右事業を行うことができず職員の急増を必要としたが、他方事業終了後に生ずる財政的制約を考慮すれば恒久的職員を増員することはできない状態にあった。そこで、飯田市は、右事業を進めるため、各部課の職員の配置転換を行うとともに、他方地方公務員法第二二条第五項にもとづく臨時的任用を行った。ところが、その後右臨時任用職員のうちには待遇、身分の不安定などを理由に退職を求める者が現われ、災害復旧事業の円滑な遂行に支障をきたすおそれが生じたため、飯田市は、右臨時的任用職員らが当初から比較的短期間に終了する災害復旧事業に従事するために採用された旨の前記事情を十分に了解していたので、原告を含む臨時任用職員一一名の同意を得た上、同人らに対し、昭和三七年四月一日付をもって、前記趣旨のもとに期限を昭和三九年三月三一日までと限って期限付採用を行ったものである。そして、かかる期限付採用は、本件のように災害復旧事業を三年間に限って終了させなければならないような特段の事情のもとに、被傭者自ら右事情を十分に了解して雇傭された場合には、労働基準法第一四条の趣旨からしても、とくに法律上これを認める旨の明文がなくても、許されるものと解するのが相当である。

また、被告飯田市長が原告に対し、前記のように昭和三七年一〇月一日付辞令を交付したのは、これによってあらたな採用をした趣旨ではなく、六月間の条件付採用期間が経過したので、本人の自覚を促すとともに、人事管理上職名を変更し、給料を飯田市職員の給与に関する条例に定める行政職給料表五等級四号俸に格付けする必要から、飯田市の慣例として行ったにすぎず、ここにおいてあらためて期限の定めのない雇傭契約の合意がなされたものではない。

三、同第三項の事実は争う。

四、同第四項の事実は認める。もっとも、本件退職辞令の交付が行政処分にあたらないことは前記のとおりであるから、本件を抗告訴訟とみることはできない。

第四、証拠≪省略≫

理由

原告の請求原因第一項の事実は、原告が従事した職種の点を除き当事者間に争がない。

そこで、原告が被告飯田市に雇傭されるにいたった経緯についてみるのに、≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実が認められる。すなわち、

1、飯田市を中心とする伊那谷地方は、昭和三六年六月二六日から三〇日にかけて連続降雨量五〇〇ミリという超大型の梅雨前線豪雨に見舞われ、天龍川ならびにこれに注ぐ小渋川、片桐松川などの支川はいずれも洪水となり、殆んどの堤防が欠壊して土砂を押し流し、道路や鉄道は各地において寸断され、橋梁の流出も多く、結局被害総額金六一億一九〇〇万円に達する大災害を蒙った。

2、そこで、飯田市は直ちに災害復旧工事に着手する必要にせまられたが、これに要する費用は国から財政援助を受け、特別会計を設けて対処するものであって、この補助は三年間に限られ、昭和三六年度三、昭和三七年度五、昭和三八年度二の各割合で支出されることとなり、昭和三九年三月三一日までに右復旧工事を終了させなければならない状況であった。

3、しかしながら、当時飯田市においては、土木・農林両課の配置職員では到底右事業を完成させることができず、職員の急増を必要としたが、他方右事業終了後に生ずる財政的制約を考慮すれば、恒久的職員を一時に多く増員することはできない状態であった。そこで、右事業を進めるために、まず飯田市の各部課に属する職員のうち土木工事の技術について多少でも経験を有する者はすべて土木・農林両課に配置替をするとともに、飯田市出身者で他県市町村に技術職員として就職した者のうち帰郷就職を希望する者を募って採用したり、長野・松本両市から技術職員の応援を求めるなどの措置を講じたが、なお要員の不足をきたしたので、地方公務員法第二二条第五項にもとづく臨時的任用による職員を採用せざるをえなかった。

4、ところで、原告は昭和二九年三月、長野県立下伊那農業高等学校を卒業してから長らく農業に従事してきたが、昭和三五年一一月椎間板ヘルニア症で腰部を手術してから農作業を継続することが困難となり、事務系統の仕事を希望するにいたった。たまたま原告は、昭和三六年九月頃、訴外串原飯田市議会議員から同市が災害復旧工事のために臨時職員を募集しているが応募したらどうかとすすめられ、同議員の推せんを得て、右事情を了承した上、同年一〇月一日飯田市土木課に右臨時的任用による職員として採用された。そして、原告は同課工務係に配属され、当初災害復旧事業の査定作業に従事したが、右のように腰部に疾患があり現場作業は無理であったこともあり、その後主として右係において失業対策事業の実務を担当するようになった。

5、しかるところ、その後右のように臨時的任用により採用された職員の中からその身分・待遇の不安定を是正する措置をとって欲しい旨の要望がなされた結果、土木・農林両課から総務課職員係に対し、右職員を一般職員と同じ身分として扱う方途を講じて欲しい旨の申入れがなされるにいたった。そこで、右係では飯田労働基準監督署に問合わせるなどして検討した結果、本件のように緊急な災害復旧工事で、しかも右のように昭和三九年三月三一日までとその工事期間が限定されている場合、その事業のために、期限付で職員を採用することは地方公務員法上許されるとの結論を得たので、この方法により採用することの可否を飯田市長ら上司に上申してその承認を得た。

6、そこで、飯田市長は、右方針にしたがって、前記臨時的任用による職員のうち原告を含む約一〇名の者を、災害復旧工事作業に従事させるため、右工事が完了する昭和三九年三月三一日までの二年間に限り雇傭する趣旨のもとに昭和三七年四月一日付をもって採用することとした。そして、原告はその頃伊沢睦土木課長から前記昭和三七年四月一日付辞令の交付を受け異議なくこれを受領した。

7、なお、右期限付採用職員に対する給与は特別会計災害復旧費から支出され、災害復旧工事の完了とともに特別会計は閉鎖されその財源も消滅した。

以上の事実が認められるのであって、この事実によると、原告は昭和三六年一〇月一日飯田市から臨時的任用による職員として採用されたが、その後翌三七年四月一日同市から雇傭期間を二年間すなわち昭和三九年三月三一日までとすることを了承して期限付で正式職員に採用されたものというべきである。

もっとも、原告は右昭和三七年四月一日付辞令を交付されるにあたり、とくに雇傭期間を二年間と限る旨の合意をしたことはない旨主張し、同人の本人尋問の結果、前掲甲第六号証の一ならびに証人山岸一二三の証言中にはこれに添う趣旨の供述がみられるが、原告がさきに災害復旧工事のために雇傭されることを了承して臨時職員となり、また右期限を明記した前記辞令を異議なく受領したことは右に認定したとおりであるのみならず、≪証拠省略≫によると、その後昭和三八年秋ごろ、原告は訴外唐沢弘人とともに訴外荒尾憲土木課庶務係長をとくに飯田市中央通り「山水楼」に招き、同人に対し、「現在の身分のままでは不安定で仕事にプラスにならないから、期限付でない身分となるように助力して欲しい」旨の懇請をしたこと、さらに同年一二月頃、期限到来後の原告らの再就職につき配慮していた前記伊沢土木課長の斡旋により、飯田市社会福祉協議会職員一名の採用試験を、また昭和三九年三月頃、同じく飯田市が昭和三九年度から実施する予定の今宮地区区画整理事業の職員二名の採用試験をそれぞれ他の期限付採用職員とともに受験したがいずれも不合格に終ったこと、そして、原告は昭和三九年三月三一日、右伊沢土木課長から同日付の前記退職の辞令を異議なく受領し、翌四月一日からは出勤しなかったこと、さらに原告は、同年五月一二日ころ、退職手当支給の有無を係員に問合わせ、同月一八日係員から右手当を交付する旨の通知を受けると直ちに同係員のもとに出頭し受領の意思を明らかにしたこと、また原告は同じく右伊沢課長の斡旋により飯田建設事務所の臨時職員として採用され、同年五月勤務したこと、以上の事実が認められ、これらの原告が採用されてから退職するにいたるまでの経緯や退職後の行動をかれこれ考えあわせると、原告らの前記供述は採用することができず、かえって以上の事実を総合すると、原告は前記辞令を交付されるにあたり、災害復旧事業のために雇傭されるところから、昭和三九年三月三一日限りで退職することを予め了承の上、採用されたものと認めるのが相当である。したがって、この点についての原告の主張は採用できない。

原告は、右のような期限付採用は、地方公務員法に規定がなく、その立法趣旨に照らして許されないし、仮にそうでないとしても、条例でその旨を定めた場合にのみ許されるものと解すべきであると主張する。なる程、地方公務員法には職員の期限付採用についてとくに定めがなく、同法が条件付採用制度をとり、とくに臨時的任用につき要件、期間を限定し、また分限、懲戒免職の事由を明定して職員の身分を保障していることに徴すれば、職員の任用は原則として期限の定めのないものであることを法の建前としているものと解することができる。しかしながら、公務員の任用は当事者間の合意を基礎とする公法上の契約に属すべきものであり、しかも右法の建前は、職員の身分を保障し、職員をして安んじて自己の職務に専念させる趣旨に出たものであることを考えあわせると、本件の如く一定の期間内に完了すべき大規模な災害復旧工事のため、その期間中に限り通常以上の職員を必要とし、その期間経過後はこれを採用しておく財政的裏付もないことが当初から判明している場合において、その職員がこの事情を了解し、右の期間内に限り採用されることを承認したときには、とくに法の規定や条例がなくても、期限付採用が許されるものと解するのが相当である。

また、原告は、前記昭和三七年一〇月一日付辞令を交付されたことにより、遅くとも同日以降期限の定めなく採用された旨主張する。なる程、右辞令には雇傭期限の記載がなされていないが、原告が昭和三七年四月一日付辞令を交付されるにあたり、雇傭期限が昭和三九年三月三一日までとすることを了承していたことは前記認定のとおりであるのみならず、前記宮沢邦男、清水重美の各証言によると、右辞令の交付は六月間の条件付採用期間が経過し、職名や給与間係に変更をきたしたので、これを明確にするために飯田市が慣例に従い行ったものにすぎないことが認められ、これをもって、あらためて原告を期限の定めなく採用したものということはできない。よって、この点についての原告の主張もまた採用できない。

以上のとおりであって、原告は昭和三九年三月三一日の経過により、前記同日付の退職辞令の有無に拘らず、期限の到来により当然退職となったものといわなければならない。そうだとすれば、右辞令の交付を退職処分とみてその違法なることを主張してその取消と給料の支払を求める原告の本訴請求はいずれも失当として棄却すべきものである。よって訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中隆 裁判官 千種秀夫 伊藤博)

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